Poverty and Her journal
正月早々CNNではアンジェリーナ・ジョリーのインタビューがやっている。アンジェリーナ・ジョリーの本については8月のポストでも書いたけど、あれを読んだ時は現実の厳しさにただただ息苦しくなる思いだった。
『ボランティア』は、日本ではよく『慈善事業』と言われる。
Collinsによると:(抜粋でし)
"A volunteer is someone who does work without being paid for it, because they want to do it."
他の訳を見ても、あまり『慈善事業』と言った感の定義は無い気がする。 ここら辺が日本語の不思議なところだな、なんて思ったりする。
以前カンボジアで難民のために働く地元の女のヒトが言ってた、
『自分だっていつ逆の立場になるか分からないぢゃない、出来るときに出来るヒトがやるだけよ。』
目の覚める言葉だった。
彼らにとって本当の『ボランティア』の根底は『お互い様』なんだな、と。
日本のような豊かな国においてはこれが中々成り立たない。する側とされる側がハッキリと区別され得る環境だからだろうな。
20代初めの頃は、理由も分からずアジアが見たくて仕方無かった。初めてプーケットに行った時、地雷で失ったのであろうか、分からないが、足の無い老人が道端で物乞いをする姿に言葉が無かった。そして彼は違和感無く風景に溶け込んでもいた。
期待通り、青い海と異国の観光地を楽しむ傍ら、彼の姿が忘れられなかった。その後は、何だか焦るようにアジア諸国が見たくて、仕事の合間に数日の短い休暇であちこち行った。主たる目的はいつだってハッキリせず、料理でもなく、買い物でもなく、『ただ見たい』だけだった。
色んな国を見る程に、日本がある意味特殊に思えた。 どの国にもある、時が止まったような風景の中の、生命力で一杯の生活と見え隠れする貧困。はにかんだ笑顔とスキの無い笑顔。
インドに行ったときに見た女性、泥だらけの通りにたった1枚布を張り、冷たい雨の中こっちを見ていた女性、彼女の目は今でも覚えている。
アンジェリーナ・ジョリーのインタビューを聞きながら、気の遠くなるような世界の広さと、立ち向かいようも無い現実の過酷さに向き合う彼女に、ただただ畏敬の念である。
Everything is composed of Ying and Yang. If this world is as the same, what do you see as Ying and Yang?
『ボランティア』は、日本ではよく『慈善事業』と言われる。
Collinsによると:(抜粋でし)
"A volunteer is someone who does work without being paid for it, because they want to do it."
他の訳を見ても、あまり『慈善事業』と言った感の定義は無い気がする。 ここら辺が日本語の不思議なところだな、なんて思ったりする。
以前カンボジアで難民のために働く地元の女のヒトが言ってた、
『自分だっていつ逆の立場になるか分からないぢゃない、出来るときに出来るヒトがやるだけよ。』
目の覚める言葉だった。
彼らにとって本当の『ボランティア』の根底は『お互い様』なんだな、と。
日本のような豊かな国においてはこれが中々成り立たない。する側とされる側がハッキリと区別され得る環境だからだろうな。
20代初めの頃は、理由も分からずアジアが見たくて仕方無かった。初めてプーケットに行った時、地雷で失ったのであろうか、分からないが、足の無い老人が道端で物乞いをする姿に言葉が無かった。そして彼は違和感無く風景に溶け込んでもいた。
期待通り、青い海と異国の観光地を楽しむ傍ら、彼の姿が忘れられなかった。その後は、何だか焦るようにアジア諸国が見たくて、仕事の合間に数日の短い休暇であちこち行った。主たる目的はいつだってハッキリせず、料理でもなく、買い物でもなく、『ただ見たい』だけだった。
色んな国を見る程に、日本がある意味特殊に思えた。 どの国にもある、時が止まったような風景の中の、生命力で一杯の生活と見え隠れする貧困。はにかんだ笑顔とスキの無い笑顔。
インドに行ったときに見た女性、泥だらけの通りにたった1枚布を張り、冷たい雨の中こっちを見ていた女性、彼女の目は今でも覚えている。
アンジェリーナ・ジョリーのインタビューを聞きながら、気の遠くなるような世界の広さと、立ち向かいようも無い現実の過酷さに向き合う彼女に、ただただ畏敬の念である。
Everything is composed of Ying and Yang. If this world is as the same, what do you see as Ying and Yang?
6 Comments:
Kbさんは、本当に自分の足で、いろいろな国を訪れ、自分の目で、その国の人々を見つめてきたのですね。すごいです。
私も、そこから始めたいと思います
Necoさんといつか一緒に行けたら、いい経験になりそうだな~、と思ったりします。
アンジェリーナ・ジョリーのジャーナルにしても、Necoさんのブログのトピックにしても、多分目が向く方向が似てるんだと思うんですよ。共鳴する部分が多くて、って言ってもらえたのは嬉しかったです。
ミツカンが見てきたものなんて、ほんの片鱗でしかなくて、バッグパック背負って放浪出来たらどれ程多くを知り、経験出来るだろうに、と夢見たりするんですけどね(笑)
でも、インドでお腹下してガイドさんに渡されたオムツあてたのは結構な凹みでしたよ(笑)
Necoさんの方がもっと違う何かを捉える事が出来そう。また色々ブログでアップしてくださいね。楽しみにしてます。
あけましておめでとうございます!
昨年は本当にお世話になりました!!
沢山の貴重な異文化コミュニケーションを経験でき、心の底から感謝しております!!
本当に楽しかったです♪♪
こんな私ですが、今年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
ボランティア。。。そう、日本では『慈善事業』といった、社会的連帯感に似た意味が含まれるような解釈をしますよね。
そのせいか知りませんが、実際に慈善事業と解釈している人が多く、やって「貢献しました」と自己満足で終わっている人も少なくないんじゃないかと思います。
ボランティアって、“する・される”なんて立場的なことは関係なく、少しでも幸せな時間を過ごせるように、手をつないで前に進んだり、乗り切ったりしていくもんじゃないのかなぁ。。そう、kbさんのおっしゃるとおり、お互い様なんだと、幼い頃に体験したことや、レオっぺを見ていて思います。
(犬の無私の愛情って本当にすごいですよね。。)
私もいろんな国を見て回れるように、今のうちに力を蓄えます(*^_^*)
犬の無私の愛情...本当に涙無くして語れない話も多いね。
色々考えさせられる事は本当に多いですな。
こう、もう少し、身近な呼び方とかあったらイイかな、なんて思うんだけど。(あぁ、何か都合のいい意見だろうか...。)
重いトピックに関わらずとも、色んな国に行ってみるのはイイ経験だとは思った。
まぁ、もちろん、普通にご飯とかも楽しんでは来るけど、やっぱりそこに住む人達の生活を垣間見るのは本当にいい経験だったなぁ~。
うんうん、是非是非いつか行ってみて欲しいなぁ~。って言うか、いつかまたアタシも行きたいと思っているんだけどね。
あ、こちらこそ、今年もどうぞヨロシクねぇ~♪♪
おはようっ(?)
怒涛の年末年始を乗り越え本日は自分自身にボランティアっ!
図太く繊細なミツカン&弟子のれおねえに幸アレ~!
そうそう、オレの父の好きな音楽が「ラテン」だったことが発覚しました。なんだかわかりませんが、すんなり納得してしまったチェリイ・・・。家族というものは細くともどこかで繋がっていますな。いつかミツカン父母にお会い出来ることを願ってやみません。
ほいでは今年もチョンマルよろしくな~♪
チェリ、さすが親子だったね(何故過去形っ!?)
分かる気がしてしまうミツカンでした。
オゥレィっ!! 静かに流れる暑い血。
転んでオハチ割らないでね。
いやぁ~、いつか遊びに来てつかぁさい。
ところで、チェリ、アァタ、図太いって何さ。それにレオネェは弟子ぢゃないから。どっちかってぇと同志だぁね(笑)うっふふふふふ。オラはミカンとメガネは敵にまわしませんよ。
こちらこそ今年もヨロシクなぁ~。
あ、沖縄土産はいらんぜよ(笑)
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