Monday, November 20, 2006

Penguins carry their cross?


今日同僚が、『おぬしも受難よのぉ、』とメールにURLを添付し送ってきた。
ミツカンをよくペンギン扱いする良からぬ同僚である。まぁ、それはイイとして、この記事 ↓

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061120k0000e040017000c.html

この記事を読んで、いささか食傷気味になったミツカン。

以前、ESLのクラスに居た時に、『子供の性教育』がトピックになった。 子供への性教育は性交渉を助長するだけだ、と言う親がいます、どう思いますか?アナタが親だったら性教育についてどう考えますか?と言うディスカッションである。 毛頭無理な仮定、親と言うものだけはなってみなきゃぁ分からんのんぢゃ。

子供への性教育、と限定し言及すると色々な意見が飛び交うのであろうが、ミツカンからすると、子供に限らず事実に対する正しい知識や認識が無い、と言うのは時として自分の身を危険にさらす事と同じである。(それに、性教育に保守的な親御さんが居る一方、『フォーっ!フォーっ!』とレーザーラモン・ハードゲイの真似が親・子供間で大流行だった先日までの現状を理解し難いミツカンです)っつぅか、アイツ全然ゲイちゃうやんけっ!!( ̄口 ̄メ)

アフリカや東南アジア諸国のエイズ蔓延だって(今や日本も他国の話、とは言えないみたいだけど)正しい知識が無い事が大きな原因にもなっているわけだし。知識不足から来る改善すべき習慣と言えば、割礼によって死産率が高くなることだって大きな問題だと思う。

情報や知識の提供、は教育と深く絡んでくるし、そこに宗教観やその文化固有の道徳観などが関わってくれば、現実をどの様に教えるか、は尚難しい問題になるんでしょうな。特に性と文化、性と宗教にはミツカンの知識も理解も超える歴史があって、そんな事についてとうとうと述べる知識は全く無いですが。

でもですよ、人間、子供に限らず、誰しも事実や現実に対し疑問を持つ機会はあるべきなのでは無いのですか?
ミツカンはこの校長先生に『あっぱれ!!』と言いたい。ミツカンもこんな大人で居たいです。

世の中にはいかがわしいニュースも多いし、子供の耳に入れるべきではない事柄も多々ある。そんなもんは大人だって聞きたいなんて思っとりゃぁせん。操作されていない情報を探すこと自体が難事だとも思う。でも取捨選択を教える事も大切な事では無いのだろうか。子供は子供なりに大人は大人なりに(それを知るべき年齢がいくつが適齢か、はまた別の問題として)事実をどう捉え、家族や周囲の人達で話をしてみて自分の判断力でそれが必要な情報かどうか、信用しうるものかどうか、自分はどう考えるのか、と視点を変えながら現実と向き合ってみることも大切な、これから生きていく人生を支える能力になるのでは、と思うんですが。

野生動物の中にも同性愛が存在する、って記事は真意の程は別として以前ニュースで読んだことがある。また、このペンギンの話しも初耳では無かった。事実を良い事か悪い事か、と捉えるのは個人の考え方に多くを依存する事も少なくない。良し悪しだけで判断できない事の方が世の中多い。

大切なのは、耳に入れたくない事実を隠すことより、何故それが良くないかを説明し納得させられるだけの説得力を大人も持つべきなのではないのですかね、また、その上で、子供達が個々にどう判断するか、ゆだねてみる位の度量が大人に欲しいもんですな。まぁ、子供に限った話ではないのだが。

ま、その前に、己の狭い了見を広げる方が先なんですけどね、ミツカンの場合。


What is the difference between "truth" and "fact"? When you watch the news, is what you see in the TV monitor really the reality?

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